ドラゴンクエスト ユアストーリーはユアストーリーではない
8/4(日)お昼ごろ観に行って参りました、件の映画。
はじめに鑑賞者である私は、ドラクエをプレイしたことはほとんどないです。
はじめてドラクエに触れたのは最近で、11を初めから終わりまで夫がプレイしてるのを真横でみてた。ベロニカのところは泣いた。クリア後にこれがドラクエかと感動した。
肝心の5はスマホ版を妖精のところまでやってスマホが壊れてデータ消えて萎えてやってない。ストーリー自体はなんとなく知ってる。
そんな中で今回みたドラゴンクエスト ユアストーリー。
別映画の上映前予告で流れてきたときから観に行くことは決めていた。そして心待ちにしていた。心待ちにしすぎてエグゼクティブシートっていう2700円する席とっちゃった。
でもやはり有名RPGの映像化ということで、原作との違い・ストーリー短縮・イベントの削除・声優に俳優を起用など考えられる不安点は多数あった。
とくに今回はストーリーが5をなぞってることもあり、ビアンカフローラ問題はどうあがいても万人を納得させるのは無理ではないかと思っていた。(だからこそどうするのかという期待と心配と興奮もあった)
が、そんな心配どうでもよかった。
私も偏ってはいるものの映画好きではあるので、映像化や実写化に対してある程度は覚悟は持っていたんですよ。
先の不安も解消されるとは期待はしていなかった。
が、そんな心配どうでもよかった。どうでもよくされた。
ラスト15分で。
この作品は大どんでん返しでも衝撃のラストでもなんでもない。
ただただラスト15分がすべてを台無しにした、それだけだった。
2億歩譲ってフォローしてみると製作者の意図がわからないわけではない。
山崎監督は公開前にゲームの映画化は無謀だから何年も断っていたこと、あるアイデアを思い付いたからいけると思ったこと、そんなことを話されてました。
そのアイデアというのはもちろんあのラストのことだったんでしょう。
確かにあのラストのおかげでストーリーが始まってから感じていた違和感や映画化のための無理やり感は辻褄が合う仕様になっていた。
納得を深めるために伏線もところどころ入れていた。サブストーリーすら伏線になっていた。
だから「映画を作る」ということに関していえば、監督は役割を果たしていたんでしょう。
でもそれドラクエで必要なくない?????
たぶん酷評派の人はみんなこの意見だと思うんだけど、我々が求めていたのは辻褄合わせでも、伏線の回収でも、驚きでもない。
かっこよくてかわいくて仲間思いでどんなにやられても悪と対峙することをやめない主人公とパーティの成長と冒険の物語。これがドラクエなんじゃないの。
奇をてらわない、王道から外れない、キャラを愛せる、キャラに想いを乗せられる。これがドラクエなんじゃないんですか。にわかながらにそう思ってたよ。
それがすべてぶっ壊されました。
ネタバレしますが、作中の主人公は、幼少期からのドラクエファンであるモブ青年Aで、VRでドラクエ5世界に入ってたらしいんですよ。これ予告どころか映画本編でもラストにしか明らかにされません。寝耳に水~~~~~。
そのモブAが現実世界のことはいったん記憶を消してVR世界で主人公となり、映画鑑賞者には「主人公が物語をスタート」するところからストーリーを開始させた。
そりゃVRだからね、ご都合主義ありありで作っても問題ない。だってVRだったんだもーんで辻褄が合う。
んでまぁ我々鑑賞者はモブA主人公のお話を見せられてるとは知らず、なんかヒーロー感のない主人公がストーリー短縮ゆえに浅い紆余曲折ありながらも仲間と出会い成長してやっと感動できそうなシーンも経て少しこの世界の主人公に共感しはじめて因縁の敵のゲマ倒したぞ!よしこの後どうなる!!ってところで僕ウイルスなんですよってラスボス登場。
映画見てない人は??????ってなりますよね。
映画見てた私も??????ってなったので。
なんかVR世界(=ドラクエ世界)を壊すウイルスなんですって。
そのウイルスであるラスボスが「なにを作りものに本気になってんだよ大人になれよ」って言ってキャラもモンスターも背景も効果もテクスチャー剥がして無にしてきたんですよ。寝耳に水どころか冷や水ぶっかけにもほどがある。
一応ラストのラストにはずっとついて回ってた味方キャラが「実は僕はアンチウイルスのお助けキャラだったんだー僕の力を使えー!」つって主人公に作中一度も登場してない剣をいきなり渡してラスボス撃破するんですけど、主人公は主人公で「作りものだろうとこの世界は俺には大事なんだー!」と急にヒーローっぽさ出してくるんですけど、一回急速冷却され虚構世界にのめりこむ現実世界の我々を馬鹿にされたあとで繰り広げられる超展開ハッピーエンドは、どう頑張っても再度没入なんでできない。うん、無理。
え、もしかして製作者は「主人公よく言った!作りものだろうと俺たちののめりこんだドラクエは嘘じゃないんだ!」って我々鑑賞者がなると思ってた?
ユアストーリーのサブタイのごとく主人公に感情を重ねた我々鑑賞者一人一人のマイストーリーが作りだされると思ってた??
うーん、無理かな。
この作品はユアストーリーでもましてやマイストーリーでもなく作中に登場させちゃったモブAのストーリーでしかないんですよ。少なくともそうとしか受け取れない作りなんですよこの映画。そんなの没入できない。作中ドラクエ世界が第三者の遠い世界にしか思えない。
映画のメッセージ性()について考えてみても、
ゲームは虚構なんかじゃないってことですか?
それともモブAがラスボス倒すところまで込みで、アンチがなんといおうとファンはゲームという虚構世界を大事にしていいんだってことですか?
もしそうなんだとしたらそんなこと言われなくてもわかってます。
製作者がドラゴンクエストというビッグタイトルを借りてまで伝えていただかなくていいことです。みんなわかってます。
虚構とわかり現実と区別しそのうえで虚構を愛してます。なんなら現実があるから虚構を愛せています。モブAのように現実の記憶を消して没入体験はしていない。
ゲームのことはわからなくても(監督は未プレイらしい)、映画製作という創作を生業としているのならば、虚構は虚構のまま幻の世界にしておいてほしかった。虚構の世界で感動させてほしかった。
メタメッセージはこと今回はとくに不要だった。
みんなわかっているのだから。
以上、ここまでが鑑賞直後に思わされた感想。失望と悪い意味で裏切られた悲しみ。
あぁやっちゃったなぁ。よりによって一番やっちゃいけないラストを持ってきちゃったなぁ。そんな悲しみ。
その後、数時間、数日経ち、SNSで検索したら出るわ出るわ酷評が。納得しかない酷評が。
それ読んでるうちに悲しみがこんなに多くのファンを傷つけた映画への少しの怒りになっちゃって、これはまずいと思って、頭と気持ちの整理の意味も込めて文章化してみた次第です。
まとめとして、
映画本編のドラクエストーリーではなく、メタで失望させられたこと。
3DCGの綺麗さ、声をあてた俳優陣の頑張り(違和感ほぼなかった)、前半の無理やりを巻き返すほどの終盤の盛り上がり、これらを一つのアイデアで無にされたこと。
これがなければなかなかの映画でした。
欲しかったのはストーリーが短縮されていようとも、多少の改変があろうとも、辻褄が合っていまいとも、ドラクエ5の映画でした。
2兆歩譲ってユアストーリーにするならモブAストーリーなんかではなく、鑑賞者がそれぞれユーになれるような作品にしてほしかった。(でもそれ無謀じゃない?)
ネタバレを聞いたうえで多くの人に酷評されている映画を今から見に行くことが無駄とは思いません。むしろ確かめてきてほしいと思う。
ただ2千円ほどのお金と2時間くらいを悲しみに向けて使える余力のある人限定ですが。
あ、あと思い出した。
監督、Twitterで絶賛ツイートのみRTしてるのすっごいださく見える。
あなたの閃いてしまったアイデアは上記の理由でも私はないと思ってるし、もっというとそんなアイデア誰でも閃いてると思う。
閃いたうえでそれはないなって選択肢から消されてるだけ。代紋Take2読んでレビュー見てください><